大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和55年(ネ)1911号 判決

控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 斉藤一好

徳満春彦

山本孝

被控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 野原泰

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。控訴人と被控訴人を離婚する。控訴人と被控訴人との間の子一郎及び二郎の親権者を控訴人と定める。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、《証拠関係省略》ほか、原判決の摘示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一  《証拠省略》を綜合すると、控訴人と被控訴人は昭和四九年二月下旬頃から事実上の夫婦生活に入り同年七月一六日婚姻届をしたこと、そして右当事者間に同年一一月六日長男一郎が、同五一年一〇月一日二男二郎が各出生したことが認められる。

二  そこで離婚原因について判断する。

《証拠省略》を綜合すると、次の事実を認めることができる。すなわち

1  控訴人は、昭和四二年三月群馬大学工学部化学工学科を卒業して同年四月株式会社乙山工業所に入社し、同四六年四月訴外丙川春子と事実上結婚したが、同年一一月離別し、同四八年四月四日訴外丁原夏子と婚姻、同人とも同年九月二五日協議離婚した。

被控訴人は、同四一年八月一九日訴外戊田秋夫と婚姻したが、子のできないことから数年を経て別居し、同四九年一月一〇日同人との協議離婚届をした。

2  被控訴人は、同四八年四月頃から不動産取引主任の資格をとるため講習を受けていた際、同じ講習を受けていた控訴人の実母甲野ハナと知り合ったが、ハナは被控訴人を見込み控訴人の妻として迎えようと考え、同年一一月頃被控訴人を控訴人に引合わせた。控訴人は被控訴人としばらく交際した後結婚を申込んだのであるが、その頃被控訴人は前夫秋夫と戸籍上夫婦となっていたのでその事情を控訴人に話したところ、控訴人はできるだけ早く正式に離婚して自分と結婚して欲しい、と申入れた。そこで被控訴人は、青森県に存住の母、兄らと相談の上控訴人と婚姻する決心をし、同四九年一月一〇日秋夫との協議離婚届を出し、前示のように控訴人との夫婦生活に入った。

3  控訴人と被控訴人は、控訴人の実兄甲野松夫所有にかかる東京都板橋区《番地省略》所在のアパートの二室を無償で借受け居住し、まずは平穏な夫婦生活を送っていたのであるが、その後間もなく、ハナが被控訴人に対し、右アパートの居室について、「他人に貸せば一か月五、六万円の賃料がとれるのに、無償で貸してやっている」という趣旨のことを云ったことから、被控訴人は感情を損ね、これを恩きせがましく云ったとしてハナに強く反発し、これが爾後右両者間の感情的対立の萌芽の一つとなるに至った。

4  ところで控訴人が勤務会社より受ける給与は、結婚当時一か月手取り一一万円程度であったので、長男の出生を間近に控えた被控訴人が、生活の安定と将来の住宅購入に備えて前記アパートを他に転貸し収入の増加をはかるようにしてはどうかと控訴人に提案したところ、控訴人及び同人からこれを伝え聞いたハナと口論となり、被控訴人は感情の激するまま控訴人及びハナを強く罵った。

5  控訴人は、同四九年一二月勤務会社において係長に昇進したが、その頃から同人の帰宅刻限が遅れ、午後一〇時以降、時には深夜にもなることがあって、被控訴人はこれに不満を抱き、控訴人対し「給料が安いのに労働時間が長い」などと不平を述べるようになり、控訴人もこれに対し強く反発し、やがてこれが高じてハナに対する非難、応酬も加えての激論となった。以後両名は、後記別居に至るまでの間、一か月に二度位は右と同じ問題で衝突し、喧嘩を繰り返した。

6  同五〇年四月上旬頃、控訴人の父母が松夫の在住するタイへ旅行することとなり、当時不動産取引業を営んでいたハナが、不動産取引主任の資格をとった被控訴人に対し旅行中の営業の代行を依頼し、その間の取引から得た収入はすべて被控訴人に与える旨約束した。そこで、被控訴人は数件の不動産取引のあっせんをして契約を成立させ約一〇万円の手数料収入を得たのであるが、帰国したハナは被控訴人に対しねぎらいの言葉をかけず、しかも約旨に反し約三万円の報酬を与えたのみであったので、被控訴人は憤概し、自宅において就寝中の控訴人に不満を述べ、果てはハナより土産にもらったハンドバッグ等を投げつけたので、怒った控訴人は被控訴人に対し殴る、蹴るの暴行を加え、一週間位外出できない程の傷を顔面に負わせた。控訴人が被控訴人に対し暴力を振ったのは右が最初であるが以後喧嘩の度に控訴人は被控訴人を殴打、足蹴りにし、時には物を投げつけ木刀を持って追いかけるなどの暴力を振うようになり、被控訴人をして外出をはばからさせる程度の傷害を与えたことも、五、六回におよんだ。

7  控訴人と被控訴人は、賃料収入を得るため、昭和五二年四月、借地権付の東京都板橋区《番地省略》に木造瓦葺二階建居宅(一階五七・〇二平方メートル、二階四〇・一九平方メートル)を約一二〇〇万円で買受け、同年夏頃右建物を四世帯入居可能のアパートに改造し、結局右家屋のため一七〇〇万円の出費を余儀なくされた。右費用のうち七〇〇万円は控訴人名義で銀行よりローンで借受け、残金一〇〇〇万円は被控訴人の所持金五五〇万円(結婚後やめた保育園の退職金及び前夫との離婚に伴う財産分与による金員)及び被控訴人が同人の姉から借りた四五〇万を以ってまかなわれた。このため、被控訴人は、右家屋の登記名義については控訴人との各二分の一の持分による共有とするべく控訴人と合意していたのであるが、これを聞き知ったハナが、控訴人の単独名義にするよう被控訴人に申入れたので、被控訴人は激怒し、控訴人及びハナを激しく罵った(もっとも結局は共有の登記ができた)。

8  被控訴人は同五二年四月より不動産取引業を始めるべく前記3の《番地省略》の住居の一室(四帖半)を事務所に改造し、長男を保育園に預けた。これは、控訴人の勤務会社より受ける年間給与が昭和五〇年度で一八四万円、同五一年度で二四五万円という低額であり、その上同年一〇月には二男も出生して生計費がかさむようになり、且つまた前記7の《番地省略》の家屋購入に伴う銀行ローンの返済もあるところから、不動産取引主任の資格を活用して副収入の途を開こうとしたものであった。しかしそのため被控訴人において家事をおろそかにしたことはなく、従前どおり控訴人の妻として、また二児の母としての勤めは果たしていた。

9  控訴人は被控訴人との婚姻の前後を通じ母ハナに対しては絶対服従し、ハナのいうことには一切逆らわずそのいうがままに従ってきた。そして被控訴人が前記3の如く住居の問題を契機としてハナに対する対立感情を抱くようになってからも、常にハナ側に立って被控訴人をハナの下に服従させようとし、それが夫婦間の対立をより激しくする結果を招来しているにも拘らずその態度を改めず、被控訴人を自己の妻としてというよりも、ハナの嫁として従順であって欲しいと願う余り、どちらかというと激しい気性の持主で攻撃的性格の被控訴人に違和感をもち、次第に被控訴人を嫌うようになっていった。

10  そして同五三年八月上旬頃、控訴人が被控訴人に駐車場再契約費用の立替払を求めたところ、手許にゆとりのなかった被控訴人が「お母さんに出してもらったら」と答えたことから、またもや喧嘩となり、控訴人は被控訴人を殴打した。被控訴人は同年七月一五日、流産したばかりの身体であった。

11  かくて控訴人と被控訴人の仲はいよいよ険悪となり、同月二〇日過ぎ頃被控訴人の求めに応じて同人の母タケが上京し、調整をはかったけれども、不仲は解消せず、ちようど被控訴人は流産した後でもあり、また二男のはしかの看病もあって疲れていたところから、同月二九日、控訴人の了解の下に二児を連れて青森の実家に帰った。

12  実家に帰った被控訴人は、母や兄から話を聞き、且つまた兄姉らの家庭生活をみるにつけ控訴人との夫婦仲のよりを戻したいと思うようになり、同年一〇月中旬頃上京し、控訴人と池袋の喫茶店で会ったのであるが、控訴人は約一〇分で席を立ち帰ってしまったので具体的な話合いをすることはできなかった。そこで被控訴人は同年一一月中旬頃母と兄に付添われて上京し、前記3の《番地省略》の住居において控訴人、ハナらと話合った。その席上被控訴人の母と兄が、被控訴人夫婦が再び円満な家庭生活に戻れるよう控訴人及びハナに協力方を要請したのであるが、控訴人はこれを聞き入れず、一方的に被控訴人との夫婦生活は不可能であるとして、東京都板橋区《番地省略》の実家(控訴人の肩書住所)に移住し、被控訴人との同居を拒否した。

13  控訴人はその後間もなく東京家庭裁判所に夫婦関係調整の調停申立(同裁判所昭和五三年(家イ)第六一二一号事件)をなし事実上離婚を求めたのに対し、被控訴人は同五四年半ば頃同裁判所に婚姻費用分担の調停申立(同裁判所昭和五四年(家イ)第四九〇六号事件)をなし、結局右当事者間において同年九月二〇日、前者の調停は不成立となり、後者の調停事件において、「控訴人と被控訴人は当分の間別居する。別居期間中長男及び二男は被控訴人が養育監護する。控訴人は被控訴人に対し婚姻費用分担として毎月五万円を支払う。」等を内容とする調停が成立した。

14  しかるに控訴人は右調停成立後間もない同年一〇月五日本件離婚請求の訴を提起したものであるが(訴提起の日は記録上明らかである)、被控訴人は現在において自己の至らなかった点を反省し、控訴人との婚姻関係の継続を望んでいる。

以上の事実を認めることができる。《証拠判断省略》

右事実によれば、控訴人と被控訴人との夫婦生活は、婚姻当初のごく短期間を除いて諍いが多く、決して平穏であったとはいうことができず、時には激しい対立のあったことも否定できないところである。しかしその対立は、母ハナに絶対服従する控訴人の態度に対する被控訴人の不満と、ハナに反抗する被控訴人の態度に対する控訴人の不満との衝突であり(前記3、4、6、7、10の各出来事はいずれもそのようなものであることは当該事実関係に照らして明らかである)、直接には控訴人被控訴人夫婦の間のことに端を発した対立も、上記の衝突と重なり合い、または、上記の衝突に収斂されて対立を深刻化させているのであるが(前記5の出来事がそうである)、この種の対立、衝突は、純粋に控訴人と被控訴人両名間の人間関係の基底から発したものというよりも、第三者であるハナとの人間関係の介在に基因するもの、換言すれば、外在的要因による葛藤にすぎないのであって、これを客観的にみれば、控訴人と被控訴人の両者が理性と愛情をもってすれば適当な対応をなしうるものであり、その意味で、夫婦の対立を決定的なものにする程の深刻な問題でもないのである。これがここまでに至ったのは、一つには被控訴人の激し易い攻撃的な性格に起因する言動にあることは否定できないところであるが、他方、控訴人の母ハナの被控訴人の感情を無視した言動、及び母ハナに絶対的に服従し、妻たる被控訴人の立場を理解し暖かく接しようとしなかった控訴人の態度に最大の原因のあったことは明らかというべきである。被控訴人は自己の至らなかった点を反省し控訴人との婚姻継続を望んでいるのであるから、控訴人においても夫として、二児の父としての責任を十分自覚し、被控訴人と相協力して家庭生活を営むことに努力を払うならば、円満な夫婦関係を取戻すことはあながち困難ではなく、むしろ容易とさえ思われるのである。しかるに、控訴人は前叙のような自覚に欠け、円満な夫婦関係の実現にさしたる努力もなさず、被控訴人を非難、嫌悪することに走り過ぎ、しかも、夫婦関係の葛藤を一方的に離婚の形において清算しようとするのは余りにも身勝手である。本件において未だ破綻の状況にない夫婦関係を、しかも有責度の高い控訴人からの請求により解消せしめることは、法の許容するところではないというべきである。

よって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であって本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 浅香恒久 安國種彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例